青森県の歴史〜津軽VS南部〜

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青森県の歴史〜津軽VS南部〜



→2分でわかる津軽VS南部問題

今回は津軽南部問題についてお話します!

本州の最北端に位置する青森県。

青森といえば、「りんごに、ねぶたでしょ?」と思う方も多いかと思いますが、
実は、青森県民でもねぶたを見たことがない人が結構いるんです。

青森県には「津軽地方」と「南部地方」があります。
青森県の事を良くご存知ない方にとってはピンとこない話しかも知れません。
しかし青森県の中には「津軽」と「南部」という2つの文化が共存しています。
1つの都道府県に複数の文化が混ざっているのは珍しくはないですが、青森県ほど極端な例は少ないとされています。

りんごやねぶたは、津軽地方の文化で、南部地方の人は、りんご畑やねぶたにあまり馴染みがないそうです。
南部地方には八戸三社大祭という無形文化遺産に登録されているお祭りや、B級グルメで有名な「せんべい汁」などがありますが、津軽地方の人には馴染みがありません。

同じ県でありながら、お互いの地方のことをあまりよく知らないんですよねぇ。

この2つの地方、明治時代に入るまでは別の県だったんです!

そして、実は、いまだに確執があるのだとか…

今回は、そんな津軽と南部の歴史について、簡単にお話します♪

<そもそも津軽と南部って?>

先ほどもお話しましたが、津軽と南部はもともとは別の藩です。

そのため、言葉も違えば文化も特産物も違います。

津軽地方は、津軽氏が治めていた「弘前藩」のことで、現在の弘前市を中心とした地域です。
日本の方言の中でも難解と言われる「津軽弁」を使います。
冬は、豪雪地帯としても知られています。
りんごや、ねぶたなど、青森県と聞いて連想されるものは津軽のものが多いです。

一方の南部地方は、南部氏が治める「八戸南部藩」で、昔は現在の青森県東部と岩手県の中部、北部、さらに秋田県の一部の地域にまたがっていました。
使われている方言は「南部弁」です。これは、岩手県や秋田県の一部でも使われている方言です。

<まるで外国!?言葉が全然違う!!>

こんな感じで、方言は別れていて、同じ県内でも言葉が通じないなんてことも珍しくありません。

例えば

「恥ずかしい」は津軽弁では「めぐせ」、南部弁では「しょす」
「〜だから」は津軽弁では「はんで」、南部弁では「すけ」
「〜でしょう」は津軽弁で「びょん」、南部弁では「ごった」

このように全く違うんです!

でも言葉や文化が違うでだけで、そこまでの確執が生まれるのでしょうか?

参考記事:津軽弁について調べてみた。

その答えは、二つの藩の歴史に隠されていました。



<津軽VS南部!!その原因は津軽の裏切りにあり!?>

戦国時代、青森県を牛耳っていたのは南部一族でした。
南部氏の一族の中から、津軽地方を仕切っていた大浦氏が南部氏を裏切る形で独立!
当時、南部家の跡継ぎ争いが行われていて、混乱に乗じて石川城を攻め落とし南部家を独立したと言われています。</font >
津軽の裏切りが最初にきっかけになったと言えます。
さらに交通が発達していない当時ならなおさら、両地域を行き来しづらいことも仲の悪さに拍車をかけたとも言われています。

津軽氏に名前を変えた大浦氏は、その後あれやこれやの裏工作なんかをしながら、豊臣政権から大名として認められました。

関ヶ原の戦いの時には徳川軍につき、津軽氏は江戸時代も弘前藩として生き残ることに成功!
これがきっかけで、津軽と南部のあいだには亀裂がはしりました。

その後も、ちょいちょい暗殺しあったりなんかしながら、時は流れて幕末。
日本では、佐幕派(幕府大事だせ!派)と倒幕派(幕府倒そうぜ!派)の二つに別れて、バチバチ戦っていました。

最初は、どちらの藩とも佐幕派だったのですが、またもや津軽藩が裏切ります。
「あ〜これ幕府負けるわぁ」と思ったのか、さっさと倒幕派=新政府軍に降伏し、津軽藩は難を逃れます。
南部藩もその後に降伏しましたが、「おのれ、津軽〜!」と思うのも頷けます。

なんだかんだあった2つの藩ですが、明治維新により弘前、黒石、七戸、八戸、斗南の5つの藩が統合して「弘前県」ができました。

名前が「弘前県」になった理由は、藩の経済状況などが関係しているのですが、南部藩は面白くないですよね…。

結局、青森を県庁とし、「青森県」と名前が変わったわけですが…
県庁所在地決定時には、旧津軽藩は青森市を、旧南部藩サイドは八戸市をプッシュしたと言われています。
ご存知の通り、結局県庁所在地は青森市に決定しますが、それに納得しなかった南部の人間は、市役所を「八戸市庁」と勝手に呼んでいたとされています。
まぁ、遺恨は残りますよね!!

100年以上昔のことですが、いまだに確執があると言われる津軽と南部。
いくら時が流れようと、恨みは消えない!?

しかし青森県は過去に津軽と南部の対立があったからこそ、同じ県なのにそれぞれ違った文化圏を持っています。
そういったものが、今となっては魅力的な観光資源や青森の魅力なのかなと思います!

そんなわけで、青森県の歴史〜津軽VS南部編〜でしたー!!!

犬猿の仲が一つの県になったんですね。






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