甲子園と言えば、どんなイメージでしょうか?
阪神の本拠地もしくは高校野球の聖地という印象でしょうか?
今回は、甲子園の歴史について調べてみました。
そもそも甲子園って?
引用元:阪神甲子園球場
プロ野球では阪神タイガースの本拠地となっています。
そもそも全国高等学校野球選手権大会の開催を目的として作られた球場となっています。
大会発足当時において人気の高かった野球大会のため、多くの方を受け入れるために甲子園球場が作られました。
球場の由来は、大正13年の干支「甲子」から付けられたとされています。
ちみみに甲子園のスタジアムツアーなるものがあります。
「スタジアム見学コース」や「練習見学付きスタジアム見学コース」などがあり、楽しむことが出来ます。
全部で16コースあります。予約が空いていれば、前日に予約することも可能です。
高校野球における甲子園
引用元:甲子園球場
毎年8月に行われる全国高等学校野球選手権大会が有名です。
各都道府県大会で優勝した合計49校によって、トーナメントが甲子園にて行われています。
節目の大会は、出場高校数が増えることもあります。
ちなみに全地方大会の出場校数は4000校前後とされています。
甲子園球場が出来る前は、大阪の豊中球場で開催されていました。
その後、鳴尾球場を経て、阪神甲子園球場となっています。
鳴尾球場で準決勝を行った際に、観客があまりにも多く、試合が中断してことがありました。
そういった背景があり、甲子園球場建設へと進んでいます。
主催の大阪朝日新聞が阪神電鉄に働きかけて5万人を収容できる甲子園球場が建設されました。
プロ野球はファンではなく、高校野球のみのファンも多いくらい盛り上げる大会となっています。
2018年は記念すべき第100回大会を迎えています。
ちなみに夏の甲子園の期間中は、阪神タイガースは甲子園を使用出来ません。
他球場を使用する長期ロードが続きます。
長期ロード中に成績が悪かったことから、「死のロード」という異名が付くようになりました。
甲子園の土を最初に持ち返った人物とは?
引用元:高校野球.net
高校球児が試合に負けた際に、球児が土を持ち帰る光景は当たり前に感じます。
最初に土を持ち返った球児には諸説あります。
1949年の第31回大会における倉敷工のエース・福嶋一雄選手。
1937年の第23回大会で準優勝した熊本工の川上哲治選手の説が多く語られます。
実は、甲子園の土を阪神園芸さんが一般向けに発売していますwww