戦国時代に活躍した戦国大名、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は功績を讃えて戦国の『三英傑』とされています。
織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」
上記の俳句は多くの方がご存知かと思います。
それぞれの性格を表していると言われています。
織田信長→大胆でワンマン
豊臣秀吉→世渡り上手
徳川家康→我慢型
だと言われています。
織田信長の功績
(引用元:東洋経済オンライン)
尾張の大名から今川義元を破ったことが有名かと思います。
比叡山延暦寺の焼き討ちや本能寺の変で明智光秀に謀反を起こされたことも有名です。
また、能力があれば身分は関係なく能力によって地位を与えていたと言われています。
明智光秀や豊臣秀吉も織田信長と血縁関係などもなく、能力によって地位を与えています。
楽市楽座
織田信長が実施したとされる楽市楽座により、自由な取引、商売が可能になりました。
城下町の発展に寄与したと言われています。
鉄砲の導入
種子島に伝来した鉄砲をいち早く導入したと言われています。
武田騎馬隊を倒したことでも有名です。(こちら諸説あります。)
また織田信長は鉄砲だけでなく大砲を戦場に用いています。
豊臣秀吉の功績
(引用元:東洋経済オンライン)
百姓から成り上がり天下統一したことは有名だと思います。
木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉と名前を変えています。
太閤検地
秀吉が太閤検地を行った理由としては、年貢を効率よく取るためと言われています。
日本中が、石高を代表とする基準が統一されて、日本経済で重要な出来事とされています。
従来の荘園制度が廃止され、土地の権利関係を明らかにしました。
また兵農分離も徹底されたことも大きな意義とされています。
士と農を分けたことで、役割分担が明確になりました。
この仕組みは、江戸時代にも続きました。
徳川家康の功績
江戸幕府の成立
言わずもがな日本の首都・東京ですが、日本に止まらず世界的にも有名な都市となっております。
後の大都市となる江戸を築いたのが徳川家康です。
江戸を築き、1603年から1868年まで長い間の平和な時代を作った立役者と言えます。
まとめ
織田信長は、比叡山延暦寺の焼き討ちのような残虐さが詠われています。
豊臣秀吉は、上に気に入られる為に知恵を絞り、上(織田信長)が築いたものを上手く使う要領の良さが詠われていると思います。
徳川家康は、いかに天下が取れなくて、ずうううううっと機会を待ち、天下統一を果たした様子が詠われています。
戦国の『三英傑』と呼ばれる武将を見事に表現した作品かもしれません。